『勉強』と『学問』の役割

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『勉強』と『学問』の役割

~進んでやることも大切だが やらされることも大切~

『勉強』という言葉は「勉(つと)め強(し)いる」と書くように、
元は『気の進まないことを仕方なくする』という意味なのだそうです。

今でも大阪では買い物をするときに「もうちょっとべんきょうしといてぇなぁ」と使うように、
『商品の値段をまけること』もそこから派生した言葉らしいです。
この言葉に『学問に励むこと』という意味が付加されたのは明治時代中期くらいからなのだそうです。

『勉強』は、いつか結果が出ることを信じて、ひたすら我慢し努力を続けるというような苦しさを伴う感じなのでしょう。

一方、『学問』は「学び問う」と書くように、
学んでは疑問に思い、疑問に思っては学ぶ、そしてまたそれを繰り返すことが学問で、
自分が興味を持ち面白いと思うことをするので楽しい感じなのでしょう。

『勉強』と『学問』は似て非なるものです。
昨今の自主性を重んじる風潮から『学問』は良いものだが、強制される感の強い『勉強』は良くないものと言われたりもしますが、どちらも大切なものです。

先日、細胞を弱酸性の液体で刺激するだけで、皮膚や筋肉など、さまざまな細胞に変化する万能細胞『STAP細胞』の開発成果が発表されました。
これは生命科学の常識を覆す画期的な成果で、将来の革新的な再生医療につながるものだそうです。
この世界を驚かす画期的な万能細胞をつくったのは、小保方晴子(おぼかたはるこ)さんという30歳の若き女性研究者です。
彼女は周囲の研究者から「間違いだ」と言われたり、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」と酷評されたりして、泣き明かした夜もあったそうです。
しかし、今日一日、明日一日だけ頑張ろうと思って続けた結果だそうです。

このエピソードはまさに『学問』と『勉強』だと思います。
これまで誰もなしえなかった問題に取り組み研究をすすめるのは『学問力』で、
壁にぶち当たっても頑張り続けるのは『勉強力』で、
この2つの力のバランスが大きな成果を生み出したのでしょう。

『勉強』と『学問』はスタートが真逆です。
『勉強』は塾や学校でレールを敷いてもらっている状態でスタートします。
『学問』は「なんで?」「どうして?」の自分自身がわからないというものへの探究心からスタートレールを敷いてもらっている状態でスタートします。

生徒は『勉強』をしなければ興味のきっかけは得られません。
そして、親や指導者はその『勉強』から生み出された、興味の芽を摘まないように導く必要があります。
大志学園も、『勉強』と『学問』の両方を大切に生徒を指導してゆきたいと考えます。

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